痛みをとる方法 鎮痛薬ーオピオイド系鎮痛薬

福井県坂井市春江町の整体院セラピストハウスです。

 

この記事は、鎮痛薬非ステロイド性抗炎症薬(NSAIDs)ステロイド性抗炎症薬の続きです。

鎮痛薬の1種類、オピオイド系鎮痛薬についまとめたいと思います。

専門的な内容になりますので、興味がない方は、読み飛ばされることをおすすめします。

 

オピオイド系鎮痛薬

白いケシの花が散った後に残るケシ坊主に縦の浅い傷をつけると、白い液がにじみ出てきます。それを竹べらなどでかき取り、乾燥させたものがアヘンで、モルヒネ、コデイン、テバインなどのアルカロイドが含まれています。アヘンを意味する英語の「オピウム」(opium)はケシのジュースを意味するギリシャ語に由来しています。それがアラビア語では「afyun」となり、中国の李時珍が1596年に著した「本草綱目」では「阿芙蓉」と記載され、19世紀になって「阿片」と呼ばれるようになりました。
アヘンの類縁の薬剤を含むオピオイド系鎮痛薬は現在使用できる最も強力な鎮痛薬であり、麻薬性鎮痛薬とも呼ばれています。決してがんの末期にだけ処方されるものではなく、がんの初期や手術後の痛みに対して投与されます。麻薬というと、一般に悪いイメージを思い浮かべる人も少なくないと思いますが、法律における「麻薬」と、医薬品の「麻薬」は同じではありません。法律における麻薬は、依存性があるために、国によって規制を受けている薬物の総称です。「麻薬及び向精神薬取締法」で規制されている薬物には、アヘン誘導体だけではなく、コカイン、覚醒剤、麻酔薬のケタミンなども含まれています。一方、医薬品としての麻薬はオピオイド受容体に作用するものであり、モルヒネなどの天然アヘンアルカロイドのほか、天然アルカロイドを原料として合成される「半合成麻薬」モルヒネを原料としない「合成麻薬」があります。アヘンには副作用もありますが、強力な鎮痛作用があるために、何世紀もの間痛みの治療に用いられてきました。天然、半合成、合成麻薬のいずれも、鎮痛作用と副作用の両方がありますが、正しい使い方をすれば決して怖いものではありません。

 

アヘンの歴史

アヘンの歴史は石器時代までさかのぼると言われ、紀元前3500年ごろにメソポタミアにいたシュメール人が作った粘度板には、ケシの栽培法、ケシ汁の採集法、アヘンの製造方法について記載されていました。シュメール人はケシを「Hul Gil」(歓喜。至福をもたらす植物)と呼んでいました、エジプトの古文書のパピルスにもアヘンの記述があり、古代エジプトの人々は鎮痛や睡眠のためにアヘンを広く用いていました。泣いている子どもをなだめるために、ハエの糞のペーストにケシ汁を混合して与えていたようです。ケシはエジプトからさらに地中海の諸地方に伝わりました。古代ギリシャ神話では、アヘンは眠りの神、夢の神、夜の神、死の神にたとえられています。古代ギリシャの詩人ホメロスの「オデッセイア」には「ケシは死の眠りで満ち溢れている」という記述があり、ディオスコリデスは、ヤナギの樹皮の鎮痛作用だけではなくアヘンの摂取方法や、その鎮痛作用と鎮静作用についても記述していました。
5世紀前後、イスラム圏の交易網が発達し、インドや中国、アフリカ中部などにアヘンを推奨していました。イスラムでは飲酒が禁じられていたこともあり、アヘンの普及は助長されました。アヴィセンナ自身もアヘンを飲み過ぎて死亡したといわれています。アヘンはシルクロードを通じて、東アジアにも伝えられました。9~10世紀にはアラビア商人によってインド、スリランカからスマトラに伝わり、スマトラからの南蛮船は室町時代の応永19年(1412年)に若狭に入港しています。江戸時代にはアヘンは「津軽」と呼ばれていたようで、津軽藩が製造していた家伝秘薬「津軽一粒金丹」にはオットセイの陰茎とともにモルヒネが配合され、強壮を兼ねた万能薬として用いられていたようです。
一方、ヨーロッパにはイスラム圏との接触を経て、11世紀前後にアヘンが再伝来しました。パルケルススは、アヘンチンキ(アヘンのアルコール溶液)を「ローダナム」(ラテン語で「神を讃える」の意味)と名付け、痛みの治療に用いていました。自身も痛風を患っていたトーマス・シデナムは「全能の神が人々の苦悩を救うために与えたもうた薬物の中で、アヘンほど万能で有効なものはない」と言って「シデナム・ローダナム」を万能薬として処方していました。ワイン、ハーブ、オレンジジュースを混ぜたものにアヘンを配合し、サフラン、シナモン、クローバーなどでフレーバーをつけたものでした。
シデナムの弟子のトーマス・ドーヴァーは、痛風の薬として、アヘンとトコン(吐根)を混ぜた「ドーフル散」(アヘン・トコン酸)を考案しています。トコンはアカネ科の植物の根を乾燥させた生薬で、去痰・催吐作用があります。その当時アヘンを飲み過ぎて死ぬ人がいたので、飲みすぎ防止のために、トコンを加えたドーフル散を考案したようです。ドーフル酸は1788年にイギリスの薬局方に採用され、現在日本でもわずかながら流通しています。その後ドーヴァーは世界探検旅行もしているのですが、大航海時代において、アヘンは海上貿易の重要な商品となっていきます。東インド会社は植民地のインドでアヘンを栽培し、清に輸出していました。イギリス本国で製造した綿織物をインドに輸出し、インドからはアヘンを清に輸出し、清からイギリスにお茶を輸出する、といういわゆる三角貿易です。当時、清では、アヘンは医薬品ではなく、嗜好品として煙草のようにキセルに詰めて、火にあぶりながら吸われていました。ヨーロッパでもアヘンの乱用が目立つようになり、多くの著名人がアヘンに溺れていきました。ヨーロッパでは主にワインなどの飲み物にいれて飲まれていました。ワインと一緒に摂取したアヘンのほとんどは代謝されるので、脳にはあまり作用しません。しかし吸飲によるアヘンは中枢神経系に速やかに集中的に吸収されるので、多くの廃人を生み出してしまいました。

 

モルヒネ

ドイツの薬剤師フリードリヒ・ヴィルヘルム・アダム・ゼルチュルナーがアヘンからのモルヒネの単離に成功しました。1816年に研究成果を発表し、1831年にはフランス学士院からモンチョン賞が与えられました。
しかし、コカインと同様に、モルヒネが広く使われるようになるには注射器の開発が必要で、1960年代には製薬会社の研究室がこぞってオピオイド系鎮痛薬の合成を始めました。

 

モルヒネの副作用

モルヒネを飲み過ぎると死に至ることもあります。しかし、鎮痛できる容量と致死量はかけ離れているので、モルヒネの投与だけで死ぬ可能性はありません。モルヒネの3大副作用は、便秘、悪心・嘔吐、眠気です。

 

医療用麻酔への誤解

現在さまざまなオピオイド系鎮痛薬が使用できるようになってきていますが、日本における医療用麻薬の使用量は他の先進国と比べるとまだまだ少ないといえます。

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